みどころ満載 ルイジアナ州ニューオーリーンズ(New Orleans, LA)観光ガイド 【前編・地理歴史〜観光名所編】

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ルイジアナ州ニューオーリーンズと言えば、フランスやスペイン統治時代の影響が今なお残り、どこかヨーロッパの雰囲気が漂うアメリカの中でも非常に特徴的な都市のひとつです。

かつては南部における奴隷市場の中心であり、奴隷を労働力にした砂糖きびプランテーションが、ニューオーリンズの上流階級に多大な富をもたらしたという暗い歴史もあります。

ヨーロッパ、アフリカ、カリブ諸島など、世界の様々な地域の人々の流入により、多様な文化が混じり合ったニューオーリンズ。異国風情のある街並独特のフードカルチャージャズなどの音楽シーンは多くの人を惹つける魅力になっています。

24時間眠らない街として、ナイトライフも充実しており、かの有名なカーニバルマルディグラの開催地としても有名ですよね。NOLA(New Orleans LA)の相性でも親しまれています。

アメリカに移住して以来ずっと訪れたいと思っていたニューオーリーンズ。コロナ感染が少し落ち着いていた2021年秋のタイミングで訪問することができました。ハリケーンIDAの影響がまだ少し残っていましたが、フレンチクォーターを始めとする主要な観光スポットはほぼ平常運転に戻っていました。

本シリーズでは筆者の2泊3日の旅行記を兼ね、NewOrleans.comなどのウェブサイトの情報を参照しながら、ニューオーリンズの地理、簡単な歴史、何をして楽しむか?、何を食べるか&飲むか?、お土産情報について前後編に分けて紹介します。

これさえ読めばニューオーリンズ観光の基本が抑えられるような内容になっていますので、読者の皆さまの次の旅行のプランニングのお役に立てれば幸いです。

観光スポット訪問やツアー参加時のCOVID19感染予防策(ワクチン接種要件など)については、各自で必ずご確認ください。

地理と気候

地理

以下に挿入した地図でもお分かりのように、ニューオーリンズは米国南部のルイジアナ州にあり、北部ミネソタ州を源流とするミシシッピ川の河口近くに位置しています。

メキシコ湾とアメリカの内陸部につながるミシシッピ川から船でアクセスできるこの場所は、飛行機や自動車がなかった時代、交通の要衝として非常に重要だったことが容易に想像できます。

市内の一部はミシシッピ川の水面よりも低い場所に位置しています。そのため頑丈で大きな堤防が広範囲に整備されているものの、ハリケーンの被害、特に洪水被害に遭いやすく、2005年のハリケーン・カトリーナ(Katrina)では市内約80%が浸水するなど、甚大な被害が出ました。

また直近2021年のハリケーン・アイダ(IDA)についても、カトリーナほどの被害は免れたようですが、家屋の破損や長期にわたる大規模停電などの影響がありました。

(ニューオーリンズ国際空港に着陸する数分前の機内からの眺め。多くの沼地が見えます。)

飛行機でニューオーリンズ入りする場合は、ルイ・アームストロング・ニューオーリンズ国際空港(3レターコード:MSY)を利用します。

気候

夏は長く、5月から9月の間は蒸し暑い時期です。一番暑いのは7月で最高気温は月平均で33℃。逆に一番寒いのが1月となりますが、それでも最高気温は月平均で16.8℃あります。3月から5月にかけてと、10月から11月の時期が最も快適に過ごせる時期と言われています。この期間は雨も少ない時期なので、訪問するにはベストな期間と言えるでしょう。(ただしマルディグラやジャズフェスティバルと重なる場合はホテル料金が高くなることも。)

筆者が訪問したのは10月ですが、暑すぎず寒すぎず快適に街歩きができました。それでも太陽光線は強く、紫外線は強いなぁと感じたのでUV対策は怠らないようにしましょう。また年間を通じて湿度が70%以上と非常に高く、気温以上の暑さを感じますので、夏場の熱中症には十分注意が必要です。

ハリケーンシーズンは6月から11月で、8月後半から9月がピークとなります。

参照:Weather and Climate.com

ニューオーリンズの歴史

アメリカのどこを見渡してもニューオーリンズほど特異で複雑な歴史を持った都市は見当たらないでしょう。ヨーロッパやアフリカ、カリブ海など、異なる背景を持った多様な人々が持ち込んだそれぞれの文化はニューオーリンズで融合し独自なものとなりました。それらは建築物、食事、音楽、アートなど、至る所に見つけることができます。

ニューオーリンズという街が歩んできた道のりを知ることで、訪問がさらに興味深く意義のあるものになると思いますので、以下に簡略版ではありますがニューオーリンズの歴史を紹介します。

植民地時代

ミシシッピ川とポンチャートレイン湖(Lake Pontchartrain)の間にあった肥沃な三角地帯には、先住民が暮らしていましたが、交通の利便が良く生態系上の資源が豊かなこの土地は、やがて多くのヨーロッパ人を惹きつけることになります。

1682年、フランス王の命を受けた探検隊により発見され、1718年にはミシシッピ川の河口から95マイルの場所に「Nouvelle-Orleans(仏語:新しいオルレアン)」が設立されました。

1723年にはフランス領ルイジアナの首府となりましたが、同年にはフレンチ・インディアン戦争の結果としてスペインに割譲されます。それ以降1700年代はスペイン領として、キューバやメキシコなどの貿易上や文化上の重要なパートナーとして機能し、多くのスペイン文化が花開きます

2度の大火により多くのフランス風建築物は消失しましたが、その後新しい建築基準でスペインコロニアル調の建物が建立され、ジャクソン・スクエアの前にあるCabildo(議会)はその代表的なものです。また錬鉄製の手すりがあるバルコニー中庭などもスペイン統治下に導入されました。

(スペイン統治時代の通りの名前を伝える標識)

1800年にはナポレオンの命によりルイジアナはフランスへ返還されますが、これは財政難だったフランスが1803年にニューオーリンズを含むルイジアナを1500万米ドルでアメリカに売却するためでした。これが歴史上で有名なアメリカのルイジアナ買収ですね。

フランス領地でなくなった後も、ニューオーリンズの人たちは、言語、宗教、風習、複雑な社会階級、食い道楽など親フランス流を維持しました。またクレオールと呼ばれる、主にフランス・スペインからの入植者と異人種との間に生まれた混血の人たちは、他のどのアメリカの都市にも見られない洗練された都会的な社会を造りあげ、現在のニューオーリンズにも受け継がれています。

南北戦争前

1800年代のニューオーリンズとバトンルージュ(現在の州都)は、当時のアメリカ国内で最もミリオネアが密集する地域でした。彼らはアフリカ大陸からの奴隷労働者を使用し、砂糖きびプランテーションで富を得た富豪たちでした。

当時ニューオーリンズの船着場では、外国からやってきた船が輸入品を降ろした後、ミシシッピ川の下流に蒸気船で運ばれてきた砂糖や綿花を積み込み、世界中に輸出されていきました。そのため銀行、商人、問屋、保険会社、弁護士などがニューオーリンズで金融や物流を管理していました。

これらの商業で生まれた富のほとんどは上流階級に流れ、その名残はフレンチクォーターの絢爛たるタウンハウスや、ゴールデン地区の居宅に見ることできます。ただこれらの豪華な建築物とは対照的に1803年から1861年まで、この社会が奴隷社会であり、全米で一番忙しい奴隷市場であったことは隠すことのできない事実です。

1840年にはニューオーリンズは全米で第3位の大きさを誇り、世界で4番目に忙しい港となっていました。人口構成は58%が白人、23%がアフリカ系アメリカ人奴隷、19%が自由黒人(free of color people)でした。

南北戦争と奴隷制度の廃止

1862年に合衆国軍(北軍)が南軍のニューオーリンズを占拠し、終戦までその状態が続きました。

戦後のレコンストラクション時代には、奴隷だった人々に市民権を与える前進的な州憲法が制定されましたが、レコンストラクション時代が終わると白人至上主義者たちが力を取り戻し、有色人種に対する隔離政策が制定され、「隔離すれども平等」との司法判断も下されるなど、揺り戻しがおきました。

第二次世界大戦以降

第二次世界大戦でニューオーリンズは重要な役割を果たしました。地元の造船業者だったアンドリュー・ヒギンズ(Andrew Higgins)が設計した「ヒギンズボート」はD-Dayのノルマンディー大作戦などで活躍しました。時の将軍アイゼンハワーも称賛したニューオーリンズの功績については、第二次世界大戦博物館(National WWII Museum)で紹介されています。

1960年の公民権運動はニューオーリンズの黒人社会に尊厳と新しい機会をもたらしました。しかし他の都市と同様に学校統合への抵抗や、ホワイトフライト(裕福な白人が、他人種が増えた都心を避け、郊外へ移り住む現象)、低所得者が残った都心部の貧困化が発生しました。

1980年初頭の石油不況が偶然にも、港湾設備の機械化と給料が良い運送関連職の減少と重なったことで、地域の衰退と人口流出につながりました。1990年代後半までには、観光業の急速な成長やより分散化された経済基盤が、損失の軽減に役立ちましたが、繁栄したかつての経済的地位を取り戻すには至っていません。

何をする? What to do ?

フレンチクォーター界隈散策

まずはニューオーリンズ観光の起点、フレンチクオーターの散策から開始。フランスとスペイン統治の影響を受けた建築物が立ち並び、異国にいるような気分になります。歩いて回れる範囲なので気になった通りを気ままに歩いてみましょう。

ジャクソン広場(Jackson Square)

ニューオーリンズの最も有名なランドマークとして、フレンチクォーターの中心地に位置しています。Decatur通りとセントルイス大聖堂との間にあり、ミシシッピ川が目と鼻の先にあります。

広場ではアーティストたちが絵を売っていたり、地元の人や観光客が思い思いの時間を過ごしています。セントルイス大聖堂などの歴史的な建造物の他、歴史あるタウンハウス(1階が商店、2階が住居として使用されている)、カフェ・デュ・モンドフレンチマーケットに囲まれており、観光の起点としてまずは訪れたい場所です。

セントルイス大聖堂(St. Louis Cathedral) 

ジャクソン広場の向かいにそびえるセントルイス大聖堂はフレンチクォーターで最も高い建築物として、多くの人に愛されテレビやメディアにもよく登場します。

死後カトリック教会から聖人と認められたフランス王-ルイ9世に捧げられ1727年に建立されました。現在も活動するカトリック大聖堂としてはアメリカ最古のものです。1794年の大火で一度消失しましたが再建され、1850年に現在の構造部分が完成しました。

大聖堂自体とても美しい建築物ですが、少し下がってジャクソン広場から眺めると、また違った美しさがあります。

バーボンストリート(Bourbon Street)

フレンチクオーターの中心を貫く、ニューオーリンズ設立当初から存在するアメリカでも最も歴史のある通り。1721年フランス人技術者のAdrien de Paugerによりニューオーリンズの通り(区画)が整備された際、当時のフランス国王の座にあったブルボン(Bourbon)家にちなんで名付けられました。

夜になるとネオンが眩しいこの通りには、ホテル、レストラン、地元市民と観光客から愛されるアイコン的存在のJean Lafitte’s Blacksmith Shop(バー)やジャズバーなどが並び、ナイトライフの中心地となっています。

お酒を飲まない人も、賑やかなこの通りをそぞろ歩いてみるだけでニューオーリンズの開放的な気分を味わえるでしょう。

フレンチマーケット(French Market)

フレンチマーケットはジャクソンスクエア付近からミシシッピ川沿いに並ぶ屋外マーケット。これまた歴史は古く、元は1791年にネイティブアメリカンが始めた市場でしたが、フランスやスペインの植民地となった後は、各国からの輸入品の取引場所として発展。

その後ヨーロッパやアフリカ、カリブからの移民たちが自身の店を開き、イタリアの肉屋からアフリカのコーヒー屋までが並ぶ、文化と商業のハブとして人気のスポットとなりました。各建物の間にはテイクアウトした食事を食べられる屋外テーブルなども設置され、お土産物屋さんも入っています。

(ハロウィン前だったのでかぼちゃの門がお出迎え)

筆者も歩いてみましたが、世界の国の様々な軽食を売るブースや土産物屋が並んでいて、のぞいてみるだけでも楽しい場所です。

 5:00pmには閉まってしまうので、お昼のうちに訪問しましょう。

(スムージー屋さん)

美術館などの文化施設を訪問

筆者は今回フレンチクォーター周辺の散策と食い倒れに時間を費やしてしまい、美術館等を訪れる時間はなかったのですが、ニューオーリンズには全米に誇る貴重な文化施設が多数あります。

第二次世界大戦ミュージアム(National WWII Museum)

ニューオーリンズで最も人気のある施設のひとつであり、世界中の歴史ファンや歴史を学ぶ学生たちにとって一度は訪れたいと願う場所。世界に変化もたらした第二次世界大戦で自由と民主主義のために戦ったアメリカの人々の視点や経験を通じ、訪問者に学びと示唆を与えてくれます。構内は5つのパビリオンで構成されており、じっくり鑑賞するには半日程度は見ておいた方が良さそうです。

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オーデュボン動物園(Audubon Zoo)

全米でも常にトップ10にラインクインする動物園。独自の教育プログラムを提供し、動物と直に触れ合える動物園として知られています。中でもルイジアナ沼地展示(Louisiana Swamp Exhibit)は、数々の受賞歴がある同園で最も人気の展示。ルイジアナの沼地に生息する植物や動物と、ケイジャンの人々、食べ物、産業、日々の生活の関連性について紹介しています。

またCool Zooゾーンの中にはゲーターラン(Gator Run)という、長さ750フィート(約230メートル)の川のように流れるプールがあり、プール脇には2つのビーチ、個室空間のビーチチェアの設置もあるので、暑い夏場に清涼感を得ることが出来ます。

フレンチクォーターから移動する場合の公共交通はバスを利用。

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オーデュボン水族館(Audubon Aquarium of the Americas)

前述のオーデュボン動物園の姉妹施設で、こちらも全米で指折りの水族館。この雄大で荘厳な水族館は訪れる人を、カリブ海、メキシコ湾、アマゾンの熱帯雨林の水中世界に導いてくれます。絶滅危惧種のアフリカペンギンを含む250種3,600の動物たちとともに、ここでしかできない体験をすることができるでしょう。ミシシッピ川沿い、フレンチクォーター徒歩圏内。

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ニューオーリンズ美術館NOMA(New Orleans Museum of Art)

ニューオーリンズ最古の芸術機関。1911年にわずか9点の美術作品とともに始まった同美術館は現在40,000点以上の美術作品を擁し、フランス、アメリカ、写真、ガラス、アフリカ、日本の作品に大きな強みを持っています。南部一の美術館としてコレクションは現在も成長しています。

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ベストフォフ彫刻庭園(Besthoff Sculpture Garden)

NOMAに併設されたアメリカでも有数の彫刻庭園。自然豊かな12エーカーの敷地内には90以上の彫刻物が、庭園に配置された小道、沼、樹木などともに、美しく展示されています。

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 (引用元:https://noma.org/besthoff-sculpture-garden/)

ニューオーリンズ市民公園(New Orleans City Park)

1,300エーカーを誇る米国で最も巨大な都市公園のひとつ。樹齢800年近いオーク樹林は全米でも屈指の大きさです。市民の憩いの場でもあるNOMA、ニューオーリンズ植物園、樹木林なども敷地内にあります。

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議会と長老会(The Cabild and The Presbytere)

セントルイス大聖堂の両側を固めるこの二つの建物は1700年代後半に建築されました。かつてはルイジアナの最高裁判所としても使用されていました。現在は州立の博物館としてニューオーリンズの歴史や、マルディグラに関する工芸品、戦争の絵画、歴史上の貴重な宝物が展示されています。

リンクはこちら The Cabild  The Presbytere

(出所:https://louisianastatemuseum.org/museum/cabildo)

ツアーへ参加

フレンチクオーター界隈から少し足を伸ばして、ニューオーリンズ滞在をさらに思い出深いものに。

ミシシッピ川クルーズ

このツアーを運営するSteamboat Company社の親会社は、なんと1817年創業、世界で一番古くから蒸気船を運航するクルーズ会社です。ミシシッピ川クルーズと言えば蒸気船「ナッチェス(Natchez)号」が有名でしたが、現在はおやすみ中ということで、新しく加わった「ニューオーリンズ(City of New Orleans)号」が稼働しています。

クルーズは約2時間でジャズ音楽を聴きながらミシシッピ川のクルーズが楽しめます。オプションでビュッフェ(バイキング形式の食事)をつけることも可。同社のホームページまたはツアー会社を通じて申し込み。

スワンプツアー(Swamp Tour)

ニューオーリンズ周辺には沼地が多く存在します。スワンプツアーとはこの沼地をカヌーやボートに乗って回ります。沼地に生息するアリゲーターに餌をやる様子を見ることができるツアーも。湿地の多いニューオーリンズ近郊ならではのツアーです。

(出所:https://www.cajunencounters.com/images/)

スワンプツアーを検索できるページはこちら

プラーンテーションツアー

奴隷を使用し、広大な農場で砂糖きびや綿花など単一の農作物を育て、莫大な富を生み出したプランテーション。ニューオーリンズ周辺にはいくつか見学者を受け入れ、その歴史を伝えているプランテーションがありますが、その中でもオークアレープランテーションは代表的存在です。奴隷の所有主が住んでいた大邸宅や奴隷の居住区などを見学し、当時の奴隷制度や奴隷の人々の生活について学ぶことが出来ます。

オークアレープランテーションはニューオーリンズから車で約1時間15分程度の距離にあります。マイカーやレンタカーを使わない場合、フレンチクォーター周辺にお迎えに来てくれるツアーが沢山あります。

直接Googleなどでツアー会社を検索できますし、エクスぺディア、トリップアドバイザーなどの旅行関連サイト経由でも様々なオプショナルツアーが提供されています。

ジャズ音楽を堪能

ジャズの生誕地であるニューオーリンズ。ジャズ好きの方はもちろん、一般旅行者にとってもジャズの生まれ故郷ならではの楽しみ方があります。

ジャズの歴史をたどる

ジャズの起源についは諸説あるようですが、奴隷の人々歌っていた労働讃歌、黒人霊歌(Black Spirituals)などのアフリカ音楽に、ヨーロッパ音楽が融合して出来上がったと言われています。この過程でもクレオールの人々が果たした役割は大きかったようです。

南北戦争前、奴隷の人々はキリスト教の「安息日」である日曜日だけは自由に集まって、歌ったり踊ったり打楽器を演奏したりすることが許されていました。ただし集会のできる場所は街の中心から離れたコンゴ・スクエア(Congo Square)に限定されていました。この集会でジャズの原型となる音楽が育っていきました。

南北戦争が終結し、奴隷制度から開放されたアフリカ系アメリカ人の中には楽譜は読めないものの、見よう見まねで楽器を演奏し、音楽で生計を立てようとする人も現れました。敗戦した南軍の音楽隊の楽器が安値で売られており、手に入りやすかったからです。

一方、特権身分を維持していたクレオールの人々はそれまでの地位を失い、アフリカ系アメリカ人と同じ処遇となりました。そこで西洋音楽の素養があったクレオールの人々は、アフリカ系アメリカ人に西洋音楽を教えたり、コンゴ・スクエアでブラスバンドのコンサートを開くようになります。こうしてアフリカ音楽と西洋音楽の融合が進み、ニューオーリンズ独自の新しい音楽が生まれます。

やがて1900年に入り”King Bolden”ことBuddy Bolden率いるブラスバンドが成功を収めます。このBoldenのバンドが奏でたラグタイムが現在のジャズの始まりという人もいれば、1917年に初めてジャズのレコートが録音された時が始まりという人もいます。その後さまざまなスタイルの変遷を経てジャズは全米に広がっていきました。

コンゴ・スクエアは現存しますが、現在はニューオーリンズ出身の有名ジャズミュージシャン、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)の名前がついた公園の一部となっています。

またフレンチクオーターにはニューオーリンズ・ジャズ博物館があり、ジャズの歴史を学ぶことができます。

ジャズの聖地と言われるコンゴ・スクエア周辺の散策や、ジャズ博物館を訪問し、ジャズの歴史に思いをはせるのもニューオーリンズならではの体験になるでしょう。

ジャズバーで音楽に触れる

さすがジャズ生誕の地。街中の至るところにジャズバーがあり、気軽にジャズに触れることが出来ます。フレンチクオーターで有名なのはPreservation Hall

ただし有名どころは予約が取りづらかったりチケットが高価だったりするので、多数のジャズバーが並ぶFrenchmen Streetでふらっと気になるバーに入ってみるのもありかもしれません。Frenchmen StreetではThe Spotted Cat Music Clubはジャズに限らず音楽バーとして有名なようです。

こちらのページからジャズバーの検索が出来ます。

全米随一のジャズフェスティバルに参加する

4月下旬から5月上旬の2つの週末にまたがりニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテージ・フェスティバルが開催されます。1970年に始まり、現在ではジャズに限定されず全米から著名なシンガーが集まり、世界中のファンを惹きつけるマルディグラと並ぶ一大フェスです。

会場はフレンチクォーター中心部から約2.5マイル離れた場所にあるフェアグラウンズ競馬場。音楽のジャンルごとにテントが設けられ、食事を提供するベンダーも出店します。2022年のフェスティバルは4/29,30,31と5/5,6,7,8の計7日間。

マルディグラ

ブラジル・リオのカーニバルと並び世界で最も有名なカーニバル(謝肉祭)で、アメリカでは最大規模です。元々はヨーロッパを起源としますが、こちらもフランスからの入植者によってルイジアナに持ち込まれました。

キリスト教カトリックの年中行事に由来し、クリスマスから数えて十二夜にあたる公現祭(1月6日) から始まり、四旬節の前日「太った火曜日(英:Fat Tuesday / 仏:Margi Gras)」に終わります。2022年は1月6日〜3月1日がカーニバル期間です。カトリックでは太った火曜日の翌日から始まる四旬節の期間中は食事の制限などが課されるため、その直前までカーニバルで思いっきり盛り上がるのです。

カーニバル期間中の週末や、太った火曜日(2022年は3月1日) の直前の1週間はほぼ毎日、仮面を被ったり、派手な衣装をまとった人々(クルー: カーニバルを組織するグループ)を乗せた山車(フロート)がパレードを行います。観覧客は山車に乗るクルーから投げ入れられるビーズのネックレスや、プラスティックのコインを拾おうと必死で手を伸ばしアピールします。

マルディグラシーズンはニューオーリンズに最も観光客が集まります。特に終盤にかけては毎日パレードが開催されホテル料金も高騰必須ですが、世界でも有数のカーニバルを体験したい!という方はマルディグラシーズンに訪問し思いっきりお祭りを楽しむのもありでしょう。

2022年のパレードのスケジュールはこちら

いかがでしたか? 前半ではニューオーリンズの地理、気候、歴史、観光スポットを紹介しました。後半では旅の一番の楽しみであるご当地グルメに焦点を当てたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございます。
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